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December 26, 2010

カタカナ英語?

こちらもやっと本格的な雪になりました。
今夜はずっと降って、30cmくらいになるらしいです。
明日は雪だるまが作れるかも!!!

というところで、雪だるまの歌です。



木村カエラさんが歌っている、このドコモのテレビCMソング、
日本ではクリスマスソングとして大流行らしいです。
日本語が上手なアメリカ人の知り合いに、このカタカナ英語には参った、
と紹介されて、見ました。

実は、私も1回目は、これ何語だろう、と思いました。
A winter fairy is melting a snowman.と繰り返しているんですが、私には、言われるまで、日本語にも英語にも聞こえませんでした。

YouTubeでは発音がひどいと酷評されていましたが、個々の「発音」はそんなに問題じゃないと思います。それぞれの音はかなりきれいに発音されているし、"r"をはっきり発音しないのが普通の地域もありますから。

でも、何でこうも聞き取りにくいのかとちょっと考えてみました。

まず、メロディーが英語のイントネーションにあっていないことがあると思います。
"A winter fairy is"は"ウィ"と"フェ"にアクセントが乗るリズム&メロディーでまだいいんですが、"melting a snowman"の方は、アクセントが乗らず弱く発音される冠詞の"a"でいちばん音程が高くなる(自然とアクセントがつく)上に、meltingの最後のgとくっついて、アクセント付きの「ガ」になるあたりが、すごく違和感があります。同じ理由で、スノーマンのマンで音程があがる時も、ちょっと気持ち悪いです。

もう一つは、歌詞の意味が分からないってことがあると思います。
「冬の妖精が雪だるまをとかす」って、イメージできないんです。
アメリカ人の友だちにも理解できないといわれました。
カエラさんのホームページでは、お腹の赤ちゃんを意識した曲で、子供のしか見えない妖精がテーマになったり、子供っぽい歌詞や歌い方をしたとのこと。冬の妖精が「雪だるまと踊る」とか「雪だるまを散らす」とかだったら、よく分かるんですけど。"melt"という動詞が"a winter fairy"の行動としてあまりにマッチしないからなんじゃないかな。

カタカナ英語が分からないというのも、個々の音の発音じゃなくて、イントネーションや歌詞の意味による部分が大きいんじゃないのかと思います。

というわけで、私は歌詞と節回しに違和感があります。でも、乗りのいい、かわいい曲だと思うし、好きな人がいるのも分かります。
この英語が日本人の間で受け入れられるなら、Japanese English(日本の英語)の例ということになるでしょうか。アメリカ英語の教材としてはおすすめできませんが。

November 21, 2010

ボストンの学会

無事、帰って来ました〜。
うちからはとても近くて車で行けたので楽でした。

学会の前の日、せっかくボストンへ出かけるんだからと、
ボストンの近くの美容院の予約を入れて、すっきりしてきました。
それに、ちゃんとした日本料理屋さんを調べて、行ってみました。
小さなお店だけど、寿司のカウンターに職人さんがいて、
本格的なちらし寿司を作ってくれました。
これで12ドルはなかなかの「めっけもん」です!

行きたくなったら詳しい情報はこちらへ;-)

学会は、一日目の午前中の発表。あまり人が来ない時間でしたが
熱心に聞いて質問してくれる先生方が来てくれて、いいセッションでした。
日本語関連の発表を主に回ったのですが、Content-Based Instruction
(内容ベース、内容重視)と"21世紀スキル"が流行りのようでした。
日本語の教室で言葉を通して何を教えるか、という方向性は、
私も前から興味があったので、いつの間に世の中の向きが変わったのかと
びっくりでした。

うわさには聞いていたけれど、教科書会社などが押しかける展示ブースは
すごくて、気がついたら、荷物がずしっと重くなっていました。
半端じゃない量の荷物を持ち歩いて、すっかり肩がこっちゃいました。
役に立ちそうな情報と、リサイクル用の紙に分けて、落ち着いたところ。

明日からまた現実ですが、感謝祭のお休みがやってくるので、明日だけ
乗り切ったら、お休みです。そのお休みに、体勢を立てなおしま〜す。

May 14, 2010

春学期、修了

なんだかんだと充実した春学期が終了しました。(たぶん)

今日はUMassの大学院の卒業式、明日は学部の卒業式、
あさってはスミス大学の卒業式です。
今年の卒業式は、卒業する知り合いが何人かいます。
前の家で同居していたハウスメートや、来た時からの知り合いなど、
私が3年前に来た時にはコースワークを終えていた人たちが、
博士論文を終えて、博士課程を修了して卒業です。
どおりで、私も課程後半に突入するわけですね。

今年は、UMassが、普段より早く春学期を始めたので、終わりも早め、
タイミング悪く、授業の最後の週に、大きな学会で先生たちを取られて
バタバタしたまま終わった感じ、でも最後のレポート、出してきました。

単位はしっかり足りていて、今学期で正式に授業を取るのは終わりで、
来学期からはComprehensive Exam (Comps)の勉強をします。
この試験は、学部、学科によって形にバリエーションがあるんだけど、
私の学部ではComps Proposalで委員会の3~4名の先生たちと
交渉して決めたトピックで、2本の論文を書き、口頭発表、議論を
するというもの。
このComprehensive Examが終わると、ABD (All But Dissertation、
課程修了博士?)になります。

とりあえず、この週末は、勉強のことを忘れて、部屋を片付けたり
ゆっくりしようと思っています。
書きかけの論文の直しとか、Comps Proposalとかは、その後で。。。

April 03, 2010

dogって日本語でどうやってタイプするの?

学会から帰るバスで、ちょっと気になった出来事があった。

最近の高速バスは、ハイテク。
コンセントもあれば無線インターネットもあるから、パソコンを開けて日本語のパワポをいじってた。

帰りのバスは込んでいた。
隣の席も占領して仕事がしたかったけれど、席がなくなると仕方がない。
隣に知らないおじちゃんが座った。

私のパワポを見て、「それ、中国語?」とおじちゃんが聞く。
「ううん、日本語。中国語と同じ文字も使うけどね」と私。

ちょっと恥ずかしそうなおじちゃん、続けて質問。
「前から気になってたんだけど、中国語とか日本語とかでタイプする時ってどうするの?」

「ん?」
今いち、質問の意図のつかめない私に、おじちゃん、例をあげて質問。
「例えば、dogって日本語でどうやってタイプするの?」

"dog"とアルファベットで打ちたい時はd-o-gとタイプするけど、
日本語にはdogに当たる日本語の語彙があって、「犬」だから、
それをタイプしたい時は、音を表すアルファベットでi-n-uとタイプして、
それから、「いぬ」か「イヌ」か「犬」か選ぶんだよ、と説明。

日本語にはdogに当たる日本語の語彙があるっていう当たりで、
おじちゃん、「馬鹿なこと聞いちゃった~」という顔した。

この人、英語以外の言葉、知らないんだろうな、って思った。

小学生の時の私を思い出す。

中学受験で算数・国語・理科・社会の試験勉強に集中してた私は、
小学生時代、英会話とか英語教室とか無縁だった。
アルファベットで知ってたのは、小学校で習ったローマ字ぐらい。

受験の終わった小学校6年の終わりごろだったと思う。
こども英会話に行ってた、友達の妹が、単語カードかなにか持ってて
英語が話題になって、私は、英語ってどうやって書くのか聞いた。

そのとき、私はミルクを、ローマ字のmirukuじゃなくてmilkと書く
別の言語があるってことを、初めて知った。
わくわくした。でも、
年下の、友達の妹が、当たり前のように教えてくれたのは焦った。

あれから何年だろう。
英語で授業を受け、友達とおしゃべりし、後輩にアドバイスし、
大学の窓口で交渉し、論文を書いている私がいる。

おじちゃん、まだ今からでも遅くないよ。

今度、こんな質問されたら、私の昔話もできるかな。

おじちゃんの好奇心が、世界を開く扉になるといいね、って。

April 01, 2010

エープリル・フール

4月になった。
朝、クラスに行ったら、学生の間で盛り上がっていたのは、エープリル・フール。
ここで、かっこよくウソがつけるといいけれど、とっさに頭が回らない・・・(-_-;)

学生いわく、「グーグルがトピカになった」と。
さっそくグーグル検索の画面に行ったら、こうなってました。

トピカ市はカンザスの州都です。
説明してくれた学生によると、トピカがグーグル市と名乗ったから、
グーグルがお返しに、エープリル・フールで、トピカと名乗ることにしたのだとか。
「もちろん、うそです」と足してくれました。

どこまでうそなのか気になったので調べてみたら、カンザス州トピカ市が
今年の3月の間、1ヶ月、グーグル市を名乗ることにしたのは本当らしいです。
それで、お返しに、グーグルが名前を変えてみたのはエープリル・フールらしい。
日本語のグーグル検索はグーグルのままでした~。

それから、グーグルのGmailもvowel outage(母音が切れちゃった)というジョークで
子音だけになってました。
母音がなくても読めちゃうところがこわい。

グーグルって頭いいな~。
でも、このために、何ヶ月前から会議をしたりしてたのかな~。
不思議な会社かも。

March 26, 2010

学会終わり~

昨日、日本語教育の学会で発表して、今、帰りのバスの中です。
準備がぎりぎりになって、なかなか20分に収まりきらなくて、
はらはらしたんですがなんとかなりました。
時間はやはりぎりぎりで、前日の準備の際に、かなり思い切って
スライド4枚分くらい削ったのに、最後は駆け足(^_^;)

すごくたくさんの方が聞きに来てくださって、感激でした。
席が足りなくて立ち見が出ていたのはびっくりでした。
パネルで、顔の広い、有名な先生方と発表したからなんですが
こんな新米の駆け出しにとってはありえない機会。
パネル内、他の発表もどれも興味深かったし、満足です。
他の似たプロジェクトをしてらっしゃる先生にも会えたし。

インタビューに応じ作品を見せることを了承してくれた学生たち、
プロジェクトを今の形になるまで一緒にがんばってくれた先生方、
論文や発表準備を助けてくださったパネリストに感謝です。
それから、見に来てくださった知り合いのみなさん―聴衆の中に
知っている顔があって、本当にほっとしました(^^)/

さあ、ちょっと遅れてしまった勉強を取りもどしたり、また忙しい
毎日に戻るけど、がんばろう!

March 24, 2010

学会シーズン

春休みはあっという間に終わってしまい、再び、学期の速い流れにのみこまれています。

春休みが終わったとたん、雨が降って、季節も逆戻りしてしまいました。。。


今は、フィラデルフィアへ向かうバスの中で、これが、今学期3つ目の学会(3つ中)です。

3つとも、初出席&初発表の学会で、何か持っていきながら、他の発表から学べるのはすごくいいんですが、様子が分からないのが大変です。


2つ目の学会はアトランタの応用言語学会。

大きすぎなくて、研究したい人が集まっていて、いい学会でした。来年も行きたいな~。

飛行機が遅れて一日目の発表が見られないというハプニングがあったりはしたけど、同じようなトピック、理論で発表している人とお話できたりして、研究者の輪に入れてもらう感じがするのがいいですね。

「残ってしまった発表資料は名刺代わりに」という先生のアドバイスで、たくさん配りました(^_^;)


それから、大学関連の知り合いが心強かった~。

今の博士課程の教授が二人来ていて、その二人の知り合いに紹介してもらったり、修士課程のときの同級生や教授に会ったり。

びっくりしたのは、修士のとき、メンターになってくれた先輩(もうかれこれ7年前?)が、当時博士の学生で今はばりばり研究者なんですが、私の発表に来てくれたこと。長い間、連絡を取っていなかったから、発表中は誰か気がつかず、後で分かって話しました。


今回は、日本語教育の学会で、大学で日本語を教えている先生方が多いとのこと。

前の学会が研究者向けで、その準備と並行しながら論文を書いていたら、ちょっと場違いな論文になってしまったらしく。。。

パネルを企画してくださったSさんに、「先生方が興味を持てる書き方を・・・」というコメントをもらったので、私なりにがんばって、導入を入れたり、かみ砕いたりしてみました。

ちゃんと時間内に終われるかな~。学生の作品(ビデオ)、トラブルなく見せられるかな~。

まだ不安は残りますが、楽しんでこようと思います。


March 11, 2010

日本食といえば、くじら!?

学生のプロジェクトを読んでいて分からなかったこと。
日本食の多様性を説明している学生の第1校を読んでいたら、
日本食といえば、すしを考えますか?くじらですか?というイントロがあったの。
「くじら???なぜ?風刺?ブラック・ユーモア?聞いてみなくちゃ」
と思っていたんですが、
どうやら、くじらはニュース性のあるトピックらしい。

シーシェパードのメンバーが日本の海上保安庁に逮捕されたり、
カリフォルニアのイルカ漁をテーマにしたドキュメンタリーが出たり、
はたまた、なんと、カリフォルニアのすし屋は絶滅種の鯨肉を出して、すし屋も料理人もアメリカ政府に訴追されたりしてるらしい。

今度、その学生がこの一連のニュースを聞いてどんなことを考えているのか、聞いてみたいです。

漢字作っちゃった!

今週は、大学2年生の日本語のクラスで、火曜日と木曜日にちょっとずつ時間をとって、部首のアクティビティーをしました。

グループで、よく使う部首(にんべん、きへん、ごんべん、てへん、おんなへん、くさかんむり、もんがまえ)の一つを選んで、その部首を使う漢字を教科書のリストなどから、できるだけたくさん探すというもの。
火曜日に探して紙に書き出したものを、今日は黒板にまとめてもらったんだけど、おもしろかった。

読み方しか習っていない漢字がけっこう出てきたのもびっくりしたんだけど、おんなへんを使って漢字を作り始めたあたりがいちばんの「へえ」でした。

見覚えのない漢字が黒板に残ったので、「これ、何?」と聞いたら、"Slavery!" "Human trafficking"だそうで。「続」のいとへんがおんなへんに変わったもので、私はぴんと来なかったんですが、あとで、見学に来ていたKさん曰く、「女を売るからですよ」。ああ、なるほど!!

今度このアクティビティーをするときは、新しい漢字を考えてもらおう!と思いました。

November 07, 2009

たからづか

日本語の学生から、真飛聖さんに似ていると言われました。
あまり有名人に似ていると言われたことがないので、びっくりです。

宝塚のことはよく知らないので、とりあえず画像検索。
男役で、ショートヘアは同じだけれど、あとは???

学生さんにもう一度聞いてみたら、
「笑顔が似ているんです」とにっこりしてくれました。
「男の人の役で、あまりうれしくないんだけど」と正直に言ったら
「真飛さんはステージでは男の役だけど、料理が好きだったり
Craftsをしたりして、とてもやさしくてかわいい人なんです」だって。

画像ではそこまで分からなかったので、今度はYoutubeへ。
宝塚トップスターが3人出ているトークショーを見つけました。



なるほど・・・
3人の中では、仕草や表情がいちばん近い気がします。
(ほかの2人には全然似ていない、とも言えるけど)
笑うと歯がのぞいて、目がなくなるあたり?
男役に向いていないんじゃないかと思ったことがある、なんて
あたり、少し分かる気がする。ちょっと親近感がわきました。

というわけで、今度、帰国するときは、宝塚のステージを
見に行ってみようかな。
学生に自分の世界を広げてもらえるのは幸せです。

でも、私、似ていると思いますか??

October 11, 2009

リテラチャー・レビュー

紅葉のきれいな季節になりました。
晴れている日は、ちょっと空気が冷たくても、萌えている木の葉の明るさで、心がワクワクします(^^♪
というわけで、今日のテーマはお勉強ですが、背景の景色は紅葉で(^^)

今、いろいろなトピックでペーパーを書いていて、大変です。
もちろん関連のある理論を使っているんだけれど、トピックが少しずつ違ったりして、5つくらいのトピックの先行文献のレビューを、並行してやっています(>_<)
しっかり記録していかないとわけ分からなくなりそうな状態です。

昨年のエスノグラフィーを学術誌に投稿する原稿に書き直すクラスを取っているのですが、原稿を送ろうと思っている学術誌に載っている論文を見ると、文献レビューをしっかり書けていなくちゃいけないみたい。いやあ、どの論文もすごいなぁと思うばかり。

さてと。がんばるぞぉ。

July 05, 2009

猫年

日本語のイマージョンプログラムに来ています。
そこでいろいろな発見があるのですが、
そのひとつを紹介しましょう。

私は日本の十二支では、うさぎどしなのですが、
ベトナムの十二支にはうさぎどしがなく、ねこどしがあるのだとか。
ベトナムから来た学生に、食事のときに教えてもらいました。
子供のころ、ねこが大好きで、どうしてねこどしがないんだろうと
考えた私にとっては、「やっぱりねこどしだったんだ!」というのは
ちょっとうれしかったです。

今は、ちょうど3週間終わって、3分の1が終わったところ。
聞いていたとおり、学生にとっても教師にとってもインテンシブです。
学習者の日本語の伸びを見ていて、教師の力と学生の力の和ではない
環境の教育力を実感しています。
これってどういう理論で説明できるんだろう、それは帰ってから考えようかな。

April 18, 2009

桜が咲きます

暖かくなったと思ったら寒くなる北国の春。
でも、昨日の昼間はなんと20度に達しました。
春らしい週末で、近所の畑もお仕事が始まった様子です。

そして、桜が咲き始めました。
今日はピンクのつぼみがふくらんで、早いのが咲き始めたところ。
「開花宣言」は明日かあさってくらいでしょうか。
月曜日の雨の予報が出ているのが気になりますが、来週末辺りが見所かなぁ。

ちなみに、日本の桜レポートを見ると、青森や函館の桜と同じくらいの開花状況のようです。

November 18, 2008

本が出ました

共著で章を書いた本が出て、今日、郵便で受け取りました!
ISLS2007での発表に基づいての論文です。
ずっしりと重い本で、なかなかおもしろそうな論文も入っています。
アマゾンで目次も見られるようにしてありました。

表紙のカバー(アマゾンより)

書名: Readings in language studies, Volume 1, Language across disciplinary boundaries.
編集者: Miguel Mantero, Paul Chamness Miller, & John L. Watzke
出版社: International Society for Language Studies
アマゾンへのリンク: http://www.amazon.com/gp/product/0977911411

November 08, 2008

方言

補習校の先生に方言を教えてくださいとお願いされて
ひさしぶりに、方言のことを考えました。

北九州で生まれて15歳まで育ったんだけれど
家族とは標準語だったし、15歳で大阪に引っ越して
から関西弁に上書きされてしまった、私の北九州弁。

でも、小学校のときを思い出して、そうそう、そういえば、
というのがありました。
「なおして」と物をわたされたら、片付けて、という
意味なんでした。かばんになおしたり、机になおしたり。
知らなくて、こわれていないのに、と悩んだ人がいるとか。
それから、友だちといっしょに遊びたいときは、
仲間に入れて、という意味で、「かてて」と言います。
「か~て~てっ♪」と公園や運動場で言っていました。
もちろん、勝たせてあげるわけじゃないですよ。
やっぱり、友だちと使ったことばや小学校でのことばは
覚えているみたいです。

気になって、インターネットで北九州弁を調べたら、
いろいろ、そんなものは使っていたかなと思うものも
そういえば、というものも。北九州は九州の入り口で、
人の移動が多いから、ほかの方言の影響が多くて
イントネーションは標準語タイプなんだそうです。

それから、初めて知ったのですが、子供のときに使った
「ままこにする」というのは方言なんだとか。仲間はずれ
にするのではなくて、子供が遊ぶとき、弟や妹のような
小さい子供が一緒だと弱すぎて負けてかわいそうだから
一緒に遊ぶけれどノーカウントにするという意味です。
ルールを知らないゲームをするときも「ままこにして」
もらっていました。
ふつう、「ままこにする」っていうと仲間はずれにする
ことみたいですが、ほかの地域では、何かことばがある
のでしょうか?

September 28, 2008

外国語のクラスと名前

先週、中国語1年生のクラスを見学させてもらったら
そのクラスでは、学生に中国語の名前が付いていました。
英語の名前の音に近くなるように先生が工夫して、とはいえ、
漢字3文字の並んだ、立派に中国人風の名前です。
やはり、名前をもらってしばらくは、指名されても自分だという
自覚がないのですって。

日本の中学でカナダ人の先生の教える英会話クラスを
補助したときは、カナダ人の先生は有無を言わせず、
英語の名前リストを配って、英語の名前を選ばせていました。
こちらは先生の強引なやり方や日本に住みながら日本語を
覚えようとしない態度もあって、反発する生徒もいました。

こうやって、外国語風の名前を使うことには批判もあります。
ちゃんと自分の名前があるのに、なぜ先生がつけるのか、
どうして外国語風の名前にしなくてはいけないのか・・・
私の日本語のクラスも、ファーストネームを英語で読んだもの
をカタカナ表記にして、日本人風の名前は付けません。

でも、自分の名前をキープすればいいってものでもない
気がするんです。

私の英語の先生たちは、幸か不幸か、日本語の名前は
変える必要がない、と考える先生ばかりで、ずっと恵子は
Keikoでいい、と変えさせてくれなかったのです。
ハワイにいたときも、英語名がほしいなあと先輩に言ったら
そんなホスト文化に媚びるようなことは、とお叱りを受けたし。

だけど、どうにしろ、英語化されてしまうんです。
Keikoは本当は長母音入りモーラ3つの、ケーコなんだけど、
英語では有無を言わさず、二重母音入り、2音節のケィコゥ。
ケーコさんとケィコゥ、結局2つの名前に落ち着いている。
気づいたら自分でもケィコゥと自己紹介してたり。
日本語の名前をキープすることで、日本語の名前自体が
変えられてしまった気さえする。

それだったら、英語名があったほうが、ケーコさんは
ケーコさんのままで、さわられずにすんだかも。
中国人や韓国人の人たちで、正しく読んでもらえないからと
英語名をつける人の気持ちも分かるし、ホスト文化に取り
入っているなんて批判するのは、勝手なんじゃないかな。

私の日本語のクラスも、英語圏で生活していて英語の名簿を
使っているので、中国語や韓国語の、漢字のある名前を
持っている学生でも、英語式に読んだものをカタカナ表記。
せっかくの漢字やふたつの名前を持っていることを無視した
英語モノリンガルの命名とも言えるんじゃないかしら?

呼び方って、呼ぶ人によって違うニックネームがあったり、
外国語を学ぶたびに増えてしまったり、Discourse
Communityの数だけ増えちゃうものなんじゃないかな。
外国語風発音の自分の名前だったり、外国人風の新しい
名前だったり、どちらにしても。名前はひとつじゃなくちゃ
アイデンティティーが守れない、というのは違うと思う。

先生やホスト文化が押し付けるのではなくて、学習者自身が
さまざまな可能性の中から選んで、あなたにはこの場面では
こう呼んでほしい、と言えるようにすることが、
学習者の主体性を尊重することになるんじゃないかな。

May 22, 2008

Advising

大学院生というのを2つの大学で経験して、
いろいろな教授のAdvisingのスタイルに出会った。

論文を書いているときや、研究のデザインを考えているとき
煮詰まったり、考えがまとまらなかったりして会うとき、
親身になって的確なアドバイスしてくれる教授もいるけれど
とんちんかんな返事が来ることもよくある。
どうして「とんちんかん」なのか、考えることがあった。

今学期、授業にゲストとして来た教授、彼女の書いた論文を
クラスで読んだからそのことについて話したり質疑応答を、と
いう形だったんだけど、話題がそれて、ある学生の関心事、
つまり教授にとっては専門分野から外れたことになったの。
教授も、この話題と知ってたら勉強してきたのに、と認めつつ
「こういうことは博士論文の口頭試問なんかでもあるけどね、
予想外の質問は、自分の専門知識の延長において考えて
答えるといいのよ」と示してくれた。
確かに、なるほど、という答えだったけど、やっぱり質問の
趣旨にはあってなかった(笑)。

論文や研究の方向性のAdvisingでも、こういうことが起きて
いるんじゃないかなと思った。
そういえば、相談をもちかけた教授や先輩に、的外れな答え
をもらって、後から、あれ、あの人の専門を適用したんだ、と
思い当たることがよくあった。あの教授、自分の視点ばっかり
押し付けるんだから、とか、先輩、他の見方はできないんだ、
なんて勝手に腹を立ててたりしてた(笑)。

学生の持ってくる分野外の質問に、教授は自分の専門の
延長でどうなるか答える。質問した学生にとっては、考え方が
違うから、とんちんかんに聞こえることもある。でも、その中に、
役に立つ部分もあったりする。答えを消化して、どこまで役に
立って、どこが的外れなのか、どうしてなのか、考えてボール
を返す(キャッチボールのたとえ)のが、いい学生の仕事なん
じゃないかな、と思う。

うまくいったな、と思うAdvisingって、そういう受け止め方を
できて、もう一歩、一緒に考えて、少しでも納得のいく中間点
が見つかったときのような気がする。
そうする中で、学生も、教授の専門を理解しながら、自分の
目の前の目的にあわせて取捨選択する力がつけられて、
教授も、自分の専門を生かしながら、でも対話の中で知識の
幅を広げられるんじゃないかな。

いつでも自分の立場に立ってアドバイスしてくれれば楽だけど
そういうわけにもいかないんだったら、自分の立場は自分で
考えなくちゃね。と、今さらながら考えています。

May 19, 2008

音声認識・・・

ペーパー書きの合間に部屋のお片付け。
ダイレクトメールの封筒、山にしていたのを処分。。。

アメリカでクレジットカードを作って以来、
ダイレクトメールがぐぐんと増えたの。
しかも、クレジットカードのお誘いばっかりで、
おめでとうとか、資格審査済み、とか書いてるんだけど
カードいらないって!

こういうの、そのまま捨ててはいけないんだって。
悪い人の手に渡ったらそこに書いてある番号を使うと
私の名前でクレジットカードが作れてしまって、
私の借金になったりするんだとか。怖すぎ。

というわけで、仕方がないので、山にしておいて、
まとめて、個人情報的なもののところだけ細かく切って
捨ててたんだよね。面倒くさい。
そうしたら、切って捨てる作業中に、発見!
クレジット関係のダイレクトメールがぜんぶ、止められる
という電話番号。

さっそく電話。そしたら、嫌な感じの自動応答&
音声認識だった~。

住所から全部、情報を音声で入れていくことに。
郵便番号は一度で大丈夫だった:)
これで、州と市まで入力。
住所、道の名前を発音して、3回やり直しさせられた。
「ごめんなさいね、よく分からなかったんだけど」って
ダメだしされる。あああ~(>0<)
私の発音に文句があるわけ~?

住所は何とか入ったけれど、次は名前。
苗字から、名前を読んで、それから綴りをアルファベットで。
3回チャレンジしたんだけど、何となく読みの近い英語の
名前にされて「合ってる?」って聞いてくる。
No!って思いっきり言うと、「あら、ごめんなさい」
これ、多分、登録されてる名前にしかならない。

さすがに、これは無理、と思って、前に聞いていた
0をプッシュすると交換手に代わる、という噂を試すことに。
0をプッシュして・・・
自動応答の人の声が変わって、今度は、
Social Security No.に、生年月日、プッシュすることに。
一言もしゃべらないまま、プチプチ押してすんなり終了。
え?そんなら、はじめからこっちにしようよ~。

そもそも、住所や名前をわざわざ声で入力するほうが
SSNと生年月日をプッシュするよりいいと思ったのは
どこの誰なんだろう?
フツーのアメリカ人は、音声認識、一発なのかな?
ぜんぜん納得いかな~い。

--------------------------------

後日・・・
私「これって、テクノロジーの無駄遣いだよね~」
友人「クレジットカード側としては、ダイレクトメールを止めよう
  と思う人が、面倒くさいって諦めるように、なんじゃん?」
私「え?陰謀?・・・あり得るかも??」

February 25, 2008

「そういう時、こんにちはって言うとちょっとおかしいんですよ」

日本語を教え始めてから、自分の日本語って変なのかも
と思うことが増えた。

「そういう時、こんにちはって言うとちょっとおかしいんですよ」は
日本語2年生の使っている教科書の会話に出てくる文で、
朝、アメリカ人の学生が日本語の先生と会ってあいさつした後で
お昼にまた同じ先生と会って「こんにちは」と言った後に言われる。
日本語のあいさつ言葉、は同じ人に一日に何度も使うとおかしい
のだそうです。「そういうときには会釈すればいい」んですって。

え、そうなんですか?

私自身は、たぶん、かなり、あいさつを濫用している。

覚えているのは、中高で教えていたときのこと。
院長先生が、人がすれ違っても目をそらしているのはよくない
声に出してあいさつをよくする学校にしたい、という方針で
「何度でもおはようでもこんにちはでも言いなさい」
と職員会議で言っていたのでした。
知っている人でも知らない人でも、一日に何度でも、
言われたら必ず返しなさい、とあいさつ濫用政策。

それまでの自分の挨拶パターンは覚えていないんですが
新米先生の私はそれはいい、と受け入れてしまったんですね。
海外生活のある生徒も多かった学校では、生徒の抵抗は
ほぼなくて、あいさつをするとあいさつが返ってくる学校、
私は好きだったんです。
それにね、何しろ、楽チンな方針なの。
朝礼前に廊下で何人もの生徒たちにおはよ~とあいさつして
しまった後で誰に挨拶したかを覚えておくのは至難の業。。。

でも、そういえば、国語の先生たちや年配の先生たちが
あれは変だって言っていたような気がしないでもない・・・

というわけで、「正しい日本語」を教えよう、いいモデルになろう
と思うときは、○○さんだったら何ていうかな、どうするかな、と
何人かの言いそうなことを考えてみるようになりました。
男の子の口語体なんかも、・・くんならなんて言うかな、と。
でも、ほんとうに、誰の日本語がモデルなのか、どんな日本語を
教えるのかって難しいところですよね。
私の日本語、ちょっとあやしいんだもの。

それで、「こんにちは」の使い方をクラスでどう扱ったかというと
「私はあまり守っていないけど、気をつけてね」という微妙な
ことを言いました。
それから、自分でもかなり意識しているつもりだったんですが・・・

先日、朝のクラスを教えて挨拶をした学生が、
午後、オフィスを訪ねてきて、一言目にやっぱり言っちゃいました。
私: 「あ、××さん、こんにちは~」
学生: 「先生、今、こんにちはって言いましたね?」
私: 「ん?言った?」

私は癖になっているから、直すの、無理っぽいです。

みなさんは、「こんにちは」っていつ、言いますか?

February 24, 2008

Literacy Narrative

There was a writing assignment for the seminar on literacy and identity. I thought of writing about my early literacy in Japanese at first, but instead decided to write about my English literacy. I was more interested in literacy development in a foreign language context any way. So quoted below is the first half of my literacy narrative, and it tells a story of a girl who 'encountered' English and 'learned' it through school.

I was in an upper grade in elementary school in a countryside city of southern Japan when for the first time I realized there were other names to the things that I had known in Japanese. My friend’s sister was going to an after-school private English institution, and she taught me a few words in English. I remember the insecure feeling that suddenly came over me as if there were another world with different names for all the objects I thought I knew how to call. From that time on I became conscious of the roman alphabets that surrounded me. Many Japanese products had decorative alphabetic writing on them, even though they had no significant meanings or functions. The bathroom rug at home was not an exception. Every time I went to the bathroom, I tried to make sense of the scripts. Although I cannot recall what the words were, I vividly remember staring at the white scripts on the lime green rug with flower prints. As I only knew the alphabet reading of the letters at that time, I was not able to read them as words. My mother was an English teacher at a junior college, and I would ask her for the sounds and meanings of a few scripts that were around me. She had already decided not to teach me English until I would start English lessons in junior high school, so she would just tell me not to worry yet.

With full excitement and anticipation, I started English lessons in junior high school. The school took a carefully designed bottom-up approach to teaching English, and the first class started with pronouncing and learning to write alphabets. After about three days, we moved on to consonant letters and sounds. We studied a few consonants each day for about a week until we were introduced to the rules of vowel sounds; a short vowel sound when a consonant follows a vowel (e.g. ‘mat’), a long vowel sound when there is an ‘e’ after the consonant (e.g. ‘mate’), sound changes when a letter ‘r’ follows a vowel (e.g. ‘cat’ vs ‘cart’) and when a letter ‘w’ precedes a vowel (e.g. ‘arm’ vs ‘warm’), and so on. I was so excited that I was able to read out all English words even though I had no idea what they meant. I read and read all alphabetic scripts around me, applying and over-applying the rules. I even applied the rules to the bathroom rug scripts, even though I sensed that they did not follow common spelling patterns. In fact, I later found that they were a brand name in French.

Although I soon learned that more commonly used words often had irregular sound-spelling relationship, it did not discourage me from learning English. The feeling that I had learned the ‘proper’ pronunciation of the English sounds made me proud, and the feeling that I knew the spelling rules made me confident. I became an avid learner of English vocabulary with the help of school’s ‘English vocabulary contest’. In order to pass one level and go on to the next, I studied about 20 words in a day, diligently making cards and notebooks. Upper level textbooks became comprehensible and enjoyable as my vocabulary expanded, and that boosted my motivation. I learned English songs by heart – rather old-fashioned ones like London Bridge is Falling Down, Old MacDonald Had a Farm, and Danny Boy –, and I sang to the mirror as I watched myself sticking out lips and curling my tongue. Japanese sounds did not use as big a movement of lips or tongue as English. American English pronunciation sounded so clear and beautiful to me, as if they symbolized another world, an imagined ideal world of total clarity.

My love with English lasted mostly through high school and college. As I had always wanted to be a teacher, it was natural for me to pursue the English teaching licensure program at college, and I started teaching English at a private girls’ high school. However, teaching at that school was a first challenge to my school-learned English. At the school that I got a position, there were teachers of English who were Japanese but had spent years living in English speaking countries. They spoke English fluently and joyfully, and it looked so easy for them to teach classes in English. There were also returnee students who spent a part of their elementary school years in English speaking countries. They spoke English as if it were their own. They expressed their emotions to each other, appealed to the listeners, and connected with each other in English. They listened to American contemporary pop music. They did pleasure reading and wrote notes to pass around to their friends in English. Their English was alive. My English was that for taking tests, comprehension, transaction, and argumentative essay writing. My attempt in teaching classes in English went awkward. My English was not a tool for building personal relationships. For the first time, I was overwhelmed, and felt my English was small, limited and technical.

So that's the first half.